昔の人と植物との関係が知りたくて、万葉集を読んでいると本当に興味深いです。
自分の心情を、五七五にのせ、情緒溢れる表現で魅了させてくれます。植物の特性と合わせ、自分の心情を詠っているのも面白いです。
「あぢさいの八重咲くごとく八つ代にを いませわが背子見つつ偲はむ」 橘 諸兄
(あじさいが幾重にも群がって咲くように、変わりなくいつまでもお健やかでいてください。わたしはこの花を見るたびにあなたを思い出しましょう。)
アジサイには様々な色がありその色を変えながら、長く楽しめる花であることにかけて、相手を祝い、今後も長く咲き誇るようにと願う気持ちを詠んでいます。
植物を見て、そんな詩が浮かんで来たら、また違った視点で植物を見ることができるでしょうね。
庭作りも、実用的でかつ意味のある配置で植えられていたようです。
例えば、南天の木。あれはトイレの近くに植えておいて、お腹が痛くて、嘔吐や下痢が止まらない時に、近くに植えた南天の葉をトイレから手を伸ばして採り、葉を噛んで汁を飲んでその苦痛を凌いでいたのだそうです。南天は有毒植物と言われますが、「身体に毒(症状)があれば毒で制す」ということをしていたようです。
お庭の木や草も先代から植えてあると、「なんの植物だかわからない」方も多いのではないでしょうか。この機会に聞いてみると新たな発見があるかもですよ。
日本人と植物との関係は外国の方がみても、大変興味深かったようです。
「毒草・薬草事典」船山信次氏の著書によれば、”江戸時代末期に来日した英国人のロバート・フォーチュンはいわゆるプラントハンターの1人であった。彼はその著書「江戸と北京」において日本の民衆が貧富を問わず門口に植物の鉢などをおいて愛でていることに、大きな関心と好感を寄せている。そして、このような習慣は北京においては見られなかったことも指摘している。日本人は昔から、園芸植物と親密な付き合いをしてきたようである。”と書かれています。外国にもそういう文化はありそうですが、当時の外国人が花を愛でるという行為は上流階級の方たちに多く見られる光景だったのかもしれません。特に日本では盆栽や華道などの伝統文化が築かれている点を考えると、日本人と植物との親密な関係が想像できますね。
最後に、
「たのしみは朝おきいでて昨日まで無りし花の咲ける見る時」橘 曙覧
こんな些細な出来事に、幸せを感じられる人であり続けたいと思った句でした。
工藤 トモヨ